大海原に漕ぎ出して

インサイドビーチ

魔法都市ゼイン観光局視察報告書
インサイドビーチ
新規観光地候補視察団第五回視察報告書
魔法設置罠による魔物の捕獲三体。繁殖抑制の目標は達成せず。また、船頭組合の反対運動の過激化を確認。桟橋の撤去および群青商港との接続経路設置計画は立案段階にて中断。
本報告をもって、一年の初期視察期間は満期となる。以上により、観光地化は不可と判断。断念されたし。
錆びた注意書き
人喰いワニ大量発生中。
遊泳は自己責任で。
注:遊泳等により発生したあらゆる損失について、魔法都市ゼイン都市安全管理局、および群青商港組合が一切の責任を負わないことを、予め承諾されたものとする。
船頭の日記 3
初めてこの砂浜を見たときにゃ、こんな天国みてえな場所があるんだって、俺も感動したもんだ。群青運河をゆったりと流れてきた水を全部受け止めちまう、そんな形の白い砂浜だ。
だがな、景色が美しいからって安全とは限らねえ。見て呉れの良い男が、性格も良いとは限らねえのと同じさ。……俺は、見て呉れはイマイチかもしれねえが、誰よりも優しい男だぜ?
砂浜まで運んだ女にそんなナンパをしてみたが空振りだった。イケると思ったんだがな。
船頭の日記 4
最近は舟を漕ぎながら、どうすればもっと良い男になれるのか、なんてことばかり考えていたな。向上心があるのは良いことだろうが、少しばかり無理をしすぎていたのかもしれねえ。
運河の水はゆっくりとだが確実に流れていき、いつかは必ず大きな海に出る。日々を堅実に過ごしていれば、俺にも景色が大きく変わる瞬間がきっと訪れるはずだ。消極的だって仲間にはバカにされるかもしれねえが、取り繕わず自然体でいる方が、俺には合ってる気がするぜ。

群青商港

見習い交易商人のメモ 5
自分の船を持っている商人なんか、全員ずる賢い人間だと思った方がいいよ。その地位に就くまでに、何かしらの悪事を働き、弱者を蹴落としてきたような奴らばかりだからね。
だから、商船に乗せてもらうときは、できるだけそいつらの機嫌を取るんだ。褒められて嫌な気持ちになる人間はいない。特にプライドの高い商人なんかなおさらだ。そして無害でしがない交易商を装うんだ。そうすれば安全に海を渡れる。わかったね?

シリーズ:見習い交易商人のメモ

グルメな命令書 6
群青運河の入口にある港では、これから長い航海に向かう船乗りたちのために、岩みたいにカッチカチの乾パンが大量に売ってるらしいわ! 乾パンにも興味がないわけではないのだけど、それよりもずっと気になる物があるの! 
乾パンを大量に買うと、特典として「群青商港特製ワイン」が樽でもらえるらしいわ! 乾パンは足りてるのに、このワイン欲しさに乾パンを大量に買う船乗りもいるっていうじゃない!
金にモノを言わせて、乾パンを買えるだけ買って来なさい! そしてワインを独り占めするのよ! わかったら早く樽ごと積み込んで運んで来なさい!

シリーズ:グルメな命令書

貧しい少女の夢想
ああ、どうしたら海の向こうの国に行けるんだろう。こんなにもたくさんの船が行き交っているのに、私はこの岸から一歩も離れることができない。
できることと言えば、こうやって港に来て、私を連れ去ってくれる誰かを待ち続けることだけ。でもいつかきっと、王冠を頭に乗せた美しい王子様が大きな船でやって来て、赤いマントを翻しながら私のかよわい手を取ってくださるはず。そう信じて、今日も港で待ち続けているの。
ベテラン運び屋の指示
一人、マヌケな商人がいる。そいつが入港している今が一番のチャンスだ。
日の沈む刻に右から二つ目の桟橋に来い。金さえ払えば、密航は必ず成功させてやる。
合言葉は「随分と時化てきましたね。これは明日も不漁に違いない」だ。絶対に間違えるなよ。
若き船乗りの証言
俺は見たんだって! この桟橋のすぐ下で、何かがたくさん蠢いているのを!
大切な指輪だったんだ……。今頃、あの気持ち悪い生き物の胃袋に入ってると思うと……クソッ、もう散々だ! 水中爆弾でも落として、あいつらに一泡吹かせてやる!

シーハーピィの狩猟場

『宝探しの歌』 1
勇ましき船乗りよ。胸に抱いた大いなる夢。追いし黄金の竜の背を睨む。荒波に逆らう運命を恨まずに。死の雷嵐を恐れずに。さあ、錨を上げて漕ぎ進め。竜が守りし至宝はすぐそこに。
『宝探しの歌』 2
王国の伝統を刻みし血、忘れられた歌を口ずさむ。古代の財宝に導かれ、分かたれた海の先。選ばれし者どもと共に飛び込めば、愛の吟遊詩人は待っている。
『宝探しの歌』 3
漕ぎ出した船は、誰にも止められぬ。あの日の傷も誇らしく、目の前の試練は眩しく。たった一つの宝を手にするためならば、犠牲は厭わない。ああ、聞こえてくる、勇ましき船乗りたちの歌。ああ、聞こえてくる、宝を求める船乗りたちの歌。
探検のススメ 5
戦闘で勝利をもぎ取るために必要なことは、前もって各々の役割を明確にし、それを必ず仲間と共有しておくことだ。仲間内での意思疎通を怠り、「状況に応じた臨機応変な戦いをしている」などとぬけぬけと言う中堅探検家は案外多い。そんな場当たり的な戦い方をしていては、突破が難しい場面も出てくるだろう。
誰が敵の攻撃を率先して受けるのか、誰が攻撃の要を担うのか、誰が味方の回復に徹するのか……。まずは基本的な行動パターンを全員が理解しなければ、臨機応変な戦い方ができるようには到底至らないのだ。

シリーズ:探検のススメ

素人魔法使いの呟き 4
さすがに日差し強すぎない? 健康的に焼けた肌には憧れてるけどさ、焼けすぎるのは嫌なの。
今すぐ天候を操る魔法をマスターすべきだわ。私、美容のためならどんな難しい魔法だって覚えてやるから。戦闘なんてもう、心底どうでもよくなってきちゃった。

シリーズ:素人魔法使いの呟き

臆病キャプテンのトカゲな日々 1
昨日、変わった身なりの冒険者たちが、群青商港に現れたタコを退治してくれた。彼らがいなかったら、私の船も船乗りも商品もきっと無事では済まなかっただろう。
借りはちゃんと返さなければならないという父の教えを守り、彼らをこのトカゲ商船に乗せてあげたけど、なんだか皆ワケありのようだ。私は、彼らに興味を持ち始めている。
『宝探しの歌』を歌ってあげたとき、彼らのうちの一人が悲しい顔をした。良い歌なのにどうしてだろう? 私の場合は、『宝探しの歌』を聞くと、どこに隠れていたんだと質問したいくらい不思議と勇気が湧いてくるというのに。

魔海域南端

『竜の至宝伝説』 1
誰も近づこうとしない荒れた海のどこかに、あらゆる願いが叶う至宝が眠っている。その至宝は、身を裂くほどに深い悲しみや、嗚咽を漏らすほどの苦しみを乗り越えてきた、勇敢さの証。手にした者は、紛れもない"英雄"だ。
さあ、大海原に漕ぎ出すのだ。唯一を手にするため、すべてを失っても構わないという覚悟があるならば。
『竜の至宝伝説』 2
至宝は、一匹の竜に守られている。暗雲の空に閃光を放つ、黄金の竜に。竜の背を追い、すべての試練に打ち勝てば、至宝は手に入るだろう。
さあ、大海原に漕ぎ出すのだ。まずは、一つ目の試練。霧に覆われた島に残された、古代の歌の謎を解いてみよ。その歌に、竜の居場所を知るための鍵が隠されている。
『竜の至宝伝説』 3
一つの試練に打ち勝てば、その先にまた新たな試練が現れる。
さあ、大海原に漕ぎ出すのだ。君が眼前に現れるのを、黄金の竜は待っている。
見習い交易商人のメモ 6
魔海域には、絶対に近づくんじゃないよ。何が起きるかわからないってのは、対策ができないってことなんだ。あんなとこに飛び込む人間が「勇敢だ」なんて讃えられることもあるけれど、「頭がおかしい」と言った方が本当は正しいんだ。
商人だったらコツコツと、地道に利益を上げればいい。そういう生き方は、決して臆病とは言わないんだ。わかったね?

シリーズ:見習い交易商人のメモ

臆病キャプテンのトカゲな日々 2
私が竜追いに憧れたのは、ある意味必然だったと思う。ザルツァイトに生まれた時点で、竜追いの噂を聞かないことなど不可能だし、少年の頃は兄弟たちとよく竜追いごっこをして遊んだな。
よく、自分にこんなチャンスが巡ってきたと思う。たぶんこれを逃したら、もう魔海域に挑戦することなど二度とないだろう。端の端でも良い。一瞬でも良いから魔海域に行ってみたい。
自分が臆病であることは理解している。それでも今は、今だけは、なりきってみたい。いつも港で眺めていた、あの勇敢な船乗りたちみたいに。

黒鯨の巣

魔物生態研究報告書 6
「魔海域の破壊者」を一目見たくて、頼み込んで竜追いの船に乗せてもらったわ。……それにしても、この竜追いという人たち、好きな目的のためには危険を顧みないあたり、とても気が合うわ。それに、卓越した航海技術もありながら、勇敢で逞しい。
あら、私、人間にこれほど興味を持ったのは初めてじゃないかしら? ふふ、黒鯨を前にして別のことを考えるなんて、私ったらいったいどうしちゃったのかしら?

シリーズ:魔物生態研究報告書

遭難者のボトルメッセージ
あの鯨からは、誰も逃れられない。この船ももうダメだ。僕は、ここで死ぬんだろう。
この手紙を読む人よ。魔海域に近づいてはならない。ここは地獄だ。さようなら、ああ海水がもうここまで。魚たちが口を開けて待っているのが見える――
臆病キャプテンのトカゲな日々 3
私は、後悔している。皆を危険に巻き込んでしまった。キャプテン失格だ。
結局のところ私は、少年の頃と同じただのごっこ遊びに興じていただけなんだ。素人が興味本位で手を出して良い海域ではなかった。船員たちも冒険者たちも命を削って頑張ってくれている。
本当にすまない気持ちでいっぱいだ。随分と遅すぎるかもしれないけど、私はどうしようもなく普通の商人なんだと、まるで傷口に塩を塗られるように痛感しているよ。

パイレーツデッドシップ

新米冒険者の気づき 8
ああ、船の上に寝転んで青空に浮かぶ雲を眺めるのは楽しい。……海賊に縛られて、身動きが取れない状態じゃなければの話だけど。
僕はいったいどこに連れて行かれるんだろう? まさか、このまま売られちゃうとか? ああ、僕はなんて愚かなんだ。そのことに初めて気がついたよ。
どうしたらこの最悪の状況を打破できる? 考えろ、気づくんだ。いつもみたいに、僕自身の気づきを信じるんだ。
……あ。……そういえば、海賊が言ってたっけ。この空だとじきに嵐に突っ込みそうだ、って。嵐の中なら、海賊たちを一人ずつ制圧していくこともできるかもしれない。あまり良い気づきとは言えないけど、やるしかない。大丈夫、僕はもうただの新米じゃない。ちょっと経験を積んだ新米だ。海賊なんかにやられないさ。

シリーズ:新米冒険者の気づき

とある海賊の手記 1
今日は船を二隻まとめて襲ってやった。海の上には俺たちを縛りつける堅苦しいルールはねえし、強くて狡い奴だけが生き残る実にシンプルなルールがあるだけだ。
生まれも育ちも関係ねえ。この海の王は、俺だ。
とある海賊の手記 2
なんて運がいいんだ! 荒れた海の中、霧の向こうにあったのは、人魚の住む珊瑚島だった。
人魚の血を手に入れて、不老不死になってやる。海を統べる永遠の王……最高の響きじゃねえか。
俺はやはり、「持っている人間」だ。実力も野心も運も、俺は全部持っている。そんな奴が他にいるか? 待ってろよ、導きの女神。その王冠を俺が奪い取ってやる。
とある海賊の手記 3
俺は、失敗した。航海の果てに、船を死の園へと追いやってしまったのだ。この墓場から抜け出すためには、セイレーンの助けを借りるしかない。しかし、助けを借りるには、歌を聞くしかない。皆を狂わせた、セイレーンのあの歌を……。ああ、俺はどうして『愚者の耳栓』を外してしまったのだろう。脳が侵され、狂いゆくのを感じている。しかし、抗えないほどの幸福で満たされていく……。ああ、セイレーン……愛しき、俺の――
臆病キャプテンのトカゲな日々 4
荒れた海、黒鯨、そして幽霊船。いったい魔海域はどうなっているんだ。そして、恐れを知らない冒険者たちも……。
ああ、無事で帰って来てくれ。それだけを今は願うよ。

星拾いの珊瑚島

幻獣事典 3
その恐ろしい海域には、壊れた船が集まる島がある。島の主である人魚に認められれば、立ち込める白い霧はたちまちに晴れ渡り、七色に光る珊瑚の大地が現れるだろう。
不可思議なほどの艶かしさと大いなる母性を併せ持つその人魚は、誰もが見惚れるほどに美しい。彼女が口ずさむ"逆さま"の歌には、周囲のあらゆる現象や生き物を操る力がある。そして、悪人には罰を、善人には導きを与えるという。

シリーズ:幻獣事典

吟遊詩人の詩 3
男が独り、歌っていた。誰もいない岸壁に座り込み、俯きながら。「とても勇ましい歌なのに。どうして悲しげに歌っているの?」。海の中から声がして、男は涙に濡れた顔を上げた。何も見えなかったが、揺れる水面に向かって男は答えた。「……勇ましい歌だから、余計に悲しいのさ。楽しかったあの頃、みんなで歌っていた歌なんだ」。海の中からまた、声がする。「私に似ているわ。私も悲しいときは、楽しい歌を歌うの。逆さから」。その言葉の意味がわからず首を傾げた男の耳に、美しい歌声が聞こえてきた。どこかで聞いたことのある旋律。先ほどまで自分が歌っていた歌だとすぐにわかった。「……だけど、とても悲しい歌詞だ」。勇ましく見える船乗りたちも、本当は死を恐れている。失うことを恐れている。ずっと、皆で冒険をしたいと思っている。そんな歌詞だった。
歌が終わったとき、男は呟いた。「勇気を出すことは、みんな怖いんだ……」。すると、声が聞こえた。「本当の気持ちは恥ずかしがり屋だから、すぐ裏側に隠れちゃうの。だけど、見栄っ張りの勇気でも、私は良いと思うわ。その勇気はきっと嘘じゃないから」。その声にはっとした男は、頬を両手で叩いて立ち上がり、ありがとう、と言った。するとまるで手を振るように、青い尾びれが水面から飛び出したように見えた。

シリーズ:吟遊詩人の詩

密猟者の改心
クソッ! 何が導きの女神だ。あんなの化け物じゃねえか。
あいつの歌を聴くと、頭がわけがわかんなくなっちまうんだ。俺の意思に従わない体をなんとか制御しようとする俺を、あいつは愉快そうな顔で見下していた。なんとか逃げ切れたが、俺が生き残れたのはたぶん、あいつの気まぐれだ。
珍しい獲物なんて狙うもんじゃねえ。決めたぜ、俺は足を洗う。真っ当なハンターとして生きてやるよ。あんな奴に比べれば、普通の魔物なんて可愛いもんだぜ。
臆病キャプテンのトカゲな日々 5
今度はセイレーンだって? もう感覚が麻痺してきたよ。
誰かと話す気力ももう残っていなかったから、魚を釣りながら「勇敢さ」についてひたすら考えていた。誰だって臆病でいるより勇敢でいたいと思うだろう。私だって例外じゃない。臆病な自分に嫌気が差したことも数え切れないくらいあるし、それでも勇敢になれない経験を積み重ねていくうちに、自然と諦めがついてくるものなんだ。……ドラゴニュートは竜の血を受け継いでいるなんて言うけど、きっと私に流れているのはもっと小さくて臆病なトカゲの血だって、そう思うようになったんだ。
トカゲにはトカゲの生き方がある。そんなふうに、夢と現実に折り合いをつけていたはずだった。溢れ出る勇敢さと優しさ、そして逞しさで港の人々を救った彼らに会うまでは。

消えずの灯台 No.13

孤独な旅人の呟き 3
決して消えない炎の存在は、永遠に不変のものが世界に存在し得ることの証拠となってしまう。
僕は、永遠という言葉が嫌いだ。永遠など存在して良いはずはない。僕の孤独も、救いようのない僕の人生も、いつかは終わると信じることで心の安寧を手にすることができた。消えない炎など、あってはならないんだ。
……この目で確かめよう。件の炎が消える、その瞬間を。

シリーズ:孤独な旅人の呟き

『灯台守』
新たな大地を踏みしめようと、人は嵐を漕ぎ進む。途方もない代償を払ってなお、それでも暗海の先に肥沃な土地を求めずにはいられないのだ。
ならば、岸辺に塔を建てよう。君たちの行先をわずかでも照らすために。限りなく無謀な挑戦が、いつか実を結ぶその日まで。
『青年と種火』
無口な青年が、一つまた一つと灯台に種火を配っていく。しかし、種火には限りがある。13本目の灯台で、早くも手持ちの種火は尽きてしまい、青年は途方に暮れてしまった。
全ての海を照らせば、海に消えた婚約者が見つかるかもしれない。それがひどい妄想であることは青年自身もわかっていた。わかってはいても、行動せずにはいられなかったのだ。
それから青年は姿を消した。青年が灯した灯台は、今も誰かの道標となっている。
『不確定なる炎』
炎は、暗闇に光をもたらした。炎は、人々に暖をもたらした。しかし炎は、美しい花畑を燃やし尽くしてしまった。
炎は、善でも悪でもない。炎は、変化そのものだ。ならば、消えない炎は、終わらない変化の象徴なのか? いや、違う。消えない炎は、変化をもたらし続けるが、自らは変化しないという矛盾した存在。それは、不確定性の象徴だ。
世の中には、変わらないと思えるものがある。悪事はなくならない。罪は赦されない。世界は混沌から救われない。しかしそれらの不変性も不確定。すべては移ろい、変化と不変の境界を彷徨っているのだ。
考古学者の知見 3
嵐とはいえ、どこかの岸に流れ着いたことは幸運だった。とにかく夜を越すために、まるで人気のない古びた灯台に登ると、火が焚べられていた。床には埃が分厚く積もっており、誰も管理する者などいなさそうに見える。不気味だ。
しかし、火があるというのはありがたい。服を乾かし、体を温め、ずぶ濡れのパンを齧ると少しだけ活力が湧いてきた。見渡すと、ところどころに古代文字らしき文章が刻まれている。朽ちた本棚には、湿気た本がいくつも並んでいた。おそらくは、古代人の建造物だろう。するとこの燃え続ける火も、古代人の遺物ということか。
私は今、いったいどこにいるのだ。朝日が登ったら周囲を見渡してみよう。ここが見知った土地の海岸だと良いのだが……。

シリーズ:考古学者の知見

臆病キャプテンのトカゲな日々 6
自分のことばかり考えていたから、船員たちのストレスが限界に来ていたことに気がつかなかった。些細な言い争いから乱闘が始まってしまったので、慌てて最後のワイン樽を空けさせて、なんとか鎮めた。
船員たちはいつも頑張ってくれている。こんな臆病で愚かな商人についてきてくれているのだから、怪我をさせたり嫌な思いをさせたりなんて絶対にしたくない。
危険な海域の中心。遭難した船の上。そんな現実を忘れるかのように宴会を始めた彼らを見て、私も苦手な酒を少しだけ飲んでみた。ひどく苦いが、確かに美味しかった。……私は、見えてなかったのかもしれない。ささやかな幸福は、たとえ臆病であったとしても、すぐ手の届くトコにあったのだ。

渦潮の近道

考古学者の知見 2
とある遭難者が、セイレーンに導かれて海の中の道を通って帰ってきたと言っていた。周りの者たちは幻覚でも見たのだろうと誰一人信じようとしなかったが、私は信じたい。陸の上にこんなにもたくさんの裏道があるのなら、海の中にもあっておかしくないはずだ。
彼と同じ状況に陥れば、私もセイレーンに海の中の裏道へと連れて行ってもらえるだろうか。よし。早速、遭難の準備を始めよう。

シリーズ:考古学者の知見

臆病キャプテンのトカゲな日々 7
いったいどうなってるんだ! 船が海の中を泳いでいる! これが、冒険ってヤツなんだ!
ああ、彼らはこんな不思議な経験を世界を巡りながら繰り返しているのだろう! 本当に羨ましいよ! 私は君たちのようにはなれないけど、冒険の世界を垣間見ることができて、心底嬉しいんだ。それに、自分のことを考え直すきっかけにもなった。
セイレーンの言うことが正しければ、もうすぐザルツァイトに着くはずだ。彼らとの別れは寂しい。だけど私は、この出会いと経験を一生忘れないだろう。

海上騎士団管轄海域

見習い交易商人のメモ 7
大きな王国では、勝手な商売が許されているとは限らないから注意するんだよ。船で貿易するには、商人ギルドへの登録が必要なんだ。同じように、露店を出すのにも登録と審査がいる。
まったく面倒なことだね。しかし、違反すれば牢獄行きだ。絶対にサボってはいけないよ。わかったね?

シリーズ:見習い交易商人のメモ

グルメな命令書 7
ザルツァイトの海に建てられた監視塔では、駐留する海上騎士団員だけに振舞われる幻の「海鮮塩カレー」があるらしいわ! そんなの美味しくないわけ絶対にないじゃない!
あなたが海上騎士団になるなり、騎士団に捕まるなりして、なんとしてもカレーのレシピをくすねてきなさい! ザルツァイトでつくられた高級塩も忘れるんじゃないわよ! ああ、甘いのかしら! それとも辛いのかしら! もう、想像が止まらないわ!

シリーズ:グルメな命令書

海上騎士団長の摘発記録
本日の摘発件数は3件であった。いずれも未登録商船による密航。我々がいくら摘発を繰り返そうとも、堂々と違法航行をしようする者は後を絶たない。私は不思議でならない。違法な者どもは、次々といったいどこから湧いてくるのだろうか。
しかし我々は、どんなに小さな犯罪も許しはしない。疑わしき者は、決して逃がさない。我々がいる限りザルツァイトの海の秩序が乱れることなどないだろう。
臆病キャプテンのトカゲな日々 8
海上騎士団に絡まれて良かった試しは一つもない! なんと融通の効かない者たちなんだ!
彼らに水を差された気分だが、なんにせよ摘発を免れて無事に入港できて安心した。もしも捕まっていたらいったいどうなっていたことか……。
ああ、塩っ気の強いこの風の匂い。賑やかな港。燦燦たる太陽。「我が故郷ここにあり」ってトコだ。今回の商品は全部捨ててしまったが、この身体さえあればなんとかなる。さあ、家に帰ろう。疲れているはずなのに、とても足取りが軽い。まるで本当にトカゲになったみたいだ。

コロシアム・模擬剣闘

王国建築士の感慨
今年もこの季節がやってきた。私の祖父の祖父のそのまた祖父が人生で培った全てを捧げて造りあげた一大建築が皆の注目を浴び、最も輝く季節だ。
私は誇らしい。この荘厳な円形闘技場を見上げると、我が祖先の偉大さが身に沁みる。そして、脈々と続く歴史の中に私がいて、この伝統を受け継いでいかなければならないという気持ちが湧き上がってくる。
若い頃は、祖先を越えられるだろうかという不安と重圧の中で我武者らに仕事をしていた気がするが、今は違う。越える必要などない。私は私のやり方で、この技術を守り、使っていく。それでいいのだと思えるほど、私も歳を重ねたということだな。
探検のススメ 6
何事にも練習は必要であり、それは探検も同じだ。あのときこうしていればもっと良かっただろうとか、あそこで自分の判断が遅かったからこうなってしまったとか、そんなふうに思える人間はどんどん成長していくだろう。
失敗も成功も、一つ一つの動きを見返せば、きっと次の探検に繋がる糧になる。人生は、トライアンドエラーあるのみだ。

シリーズ:探検のススメ

織工店店主の満悦
建国祭を見に海の外からやってくる人間の数は、年々目に見えて増えている。「祭りの参加者は全員白い布を身に付けなければいけない」なんて伝統、まったく誰が考えたんだ。ただの白い布が飛ぶように売れていくから、普段の繊細な仕事が馬鹿らしくなってきてしまうじゃないか。
……さあ、今年も大量に売るぞ。
堅物門番のイグアナな日々 1
まったくこの俺に不正の手引きをさせるとは。クソッ、あのトカゲ、今度会ったらこっぴどく叱ってやる。
……しかし、あの冒険者たちは何者なのだ。模擬戦闘をさせて実力不足のようだったら参加を認めないでおこうかと思ったが、俺が見たところ、冗談じゃなく優勝もあり得るぞ……。
臆病キャプテンのトカゲな日々 9
彼らは兄に会えただろうか? 実家に戻り弟たちに自慢話をしているうちにこんな時間になってしまった。さあ、明日は魔海域生還の証を貰った後、こんなこともあろうかと入っておいた損害保険の被害申請をして、船の修理を頼んだら闘技場に向かおう。兄は堅物だが義理にも堅いから、どうせ断れないはずだ。ああ、彼らの優勝する姿が目に浮かぶ! そして私には大金が……! はっはっはっ!

コロシアム・予選

孤独な旅人の呟き 4
人が集まれば悪意が渦巻き、運命が思いもよらぬ方向へと転げ出す。たくさんの思惑が交錯し、空気がキリキリと軋み出す音が聞こえるんだ。
途方もなく孤独な僕にはやはり、人間という生き物が好きになれそうにない。それでいて僕自身も人間であり、他人の肌の温もりを知りたいと本能で願ってしまう。
……悲しいくらいにひどい皮肉だ。ああ神様、あなたが創造したこの世界は、どうしてこんなにも息苦しいのですか。

シリーズ:孤独な旅人の呟き

闘技大会フリークの興奮
今年の参加者は粒揃いね! 前評判はどのチームも上々。闘技大会の認知度が上がって、参加が過熱化している良い流れができているわ。
近年は優勝を逃し続けている「チーム竜追い」にやっぱり頑張ってほしいところではあるけど、ちょっと難しいかもしれないわね。さあ、予選が始まるわ。プロは予選で優勝候補を見極めるのよ!
闘技大会運営救護係の嘆き 1
一年で一番忙しい日、それが今日。
怪我人の手当と死人の蘇生をとにかく一日中行い続けるだけ。逞しくて優しい彼氏ができるかもなんて思って応募してみたけど、治癒に失敗したらひどい文句を言われるし、今にも死にそうな人たちと恋なんて全然芽生えないし、毎年強制的に呼び出されるし、もう最悪。
来年から、もっと平和的な方法で勝敗を決める方式にならないかな。追いかけっことか、球蹴りとか……ね?
闘技大会運営魔物・猛獣係の疑念 1
今年も予選のために、大量の魔物と猛獣を輸入した。大会を盛り上げるために、俺が一匹一匹を実際に見て厳選したんだ。……しかし、早朝に皆の健康チェックを行っていたところ、檻のうちいくつかが空けられているのを発見した。地面に血がついていたし、焼却炉を使った痕跡もあった。俺に無断でなんてことしやがるんだ。
……疑わしきは、あの門番だ。体がでかいからって、大事な番人を任されているが、無表情で何を考えてるかわからねえ。昨晩はあいつが最後だったはずだ。へへ、その化けの皮、俺が剥がしてやるよ。
堅物門番のイグアナな日々 2
どうやら、俺は疑われているらしい。いや、確かに模擬剣闘のために猛獣を放ったが、あれは不当な行為ではない。大会に使用する魔物や猛獣を扱う権利は、俺にもあるのだから。
あいつはどうにも俺のことが嫌いらしい。難癖をつけられ俺の評判を落とされても困るが、正当性を主張したところで逆恨みされるのがオチだろう。仕方ない、ほとぼりが冷めるまでやり過ごすか。
臆病キャプテンのトカゲな日々 10
ひりついた空気、耳鳴りがするほどに響く鐘、一気に熱狂する闘技場、飛び交う罵声、迸る鮮血。これだ。私はこれが好きなんだよ。
どんなに臆病な人間でも、リアルな戦いを間近に見ることができる。ああ、私のトカゲの血が騒ぎ、疼く……。まるで空を横断する竜の血のように沸き立つんだ!
……もちろん、参加はごめんだけど。

コロシアム・本戦第一試合

名賭博師の信条
他人の前評判ほど、当てにならねえものはねえ。大勢と同じ意見なら安心する奴らが世の中には多いが、俺からしてみればそんな奴らは思考停止の愚か者だね。皆と同じ賭け方をしたら、勝つのも負けるのも皆と同じだ。そんなのつまらねえし、何よりも勝てねえ。
俺は自分の洞察力を信じている。自分の目で見て、自分の頭で考えて、自分が賭けたいと思った奴に賭けるのさ。皆が小馬鹿にしていた大穴の弱小チームが優勝した一昨年は最高だったぜ。まあ俺は知ってんだけどな。あいつらが隠れて猛特訓をしてたってこと。
グルメな命令書 8
ザルツァイトの建国祭は、グルメの祭典と言っても良いわ! 珍しい海鮮料理がたらふく食べられる屋台市! 異国の商人が運んでくるゲテモノ食材巡り! 船乗りたちが日頃の感謝を込めて地域住民に振る舞う船上料理! 直接体験できないのが悔しくて仕方ないわ! とにかくありったけの料理と食材とレシピを持って帰って来なさい!
中でも、絶対に外しちゃいけないのは、記念闘技大会の開催に合わせて毎年解禁される、高級羊肉よ!
頭数限定で、闘技場の最前席を予約した観客が大金を積めば、観戦中に食べられるらしいわ! 肉は鮮度が大事なの! だから羊はなんとかして生きたまま連れて帰って来なさい! 失敗したら絶対に許さないから、命懸けでやるのよ!

シリーズ:グルメな命令書

闘技大会運営魔物・猛獣係の疑念 2
あいつが一人になる瞬間を見計らって、昨晩のことをさりげなく聞いてやったが、あの野郎、仕事があるからとすぐに背中を向けやがった。クソッ、舐めやがって。
もう容赦はしねえ。次は、無理矢理にでも檻にぶち込んでやるよ。泣いて懇願したって出してやらねえからな。へへ、こりゃあ餌代が浮きそうだ。
堅物門番のイグアナな日々 3
俺の信条は「面倒ごとはできる限り避ける」だ。俺の何が癪に障るのかは知らないが、血気盛んな人間に絡まれることは多い。しかし、戦わずにやり過ごせるなら、それが最善だ。
でかい図体をしているのに戦いを避ける様子がまるでイグアナのようだ、と弟たちから言われてきたが、俺はこの生き方を曲げるつもりはない。力でねじ伏せることが賢いやり方だとは、どうしても思えないのだ。
臆病キャプテンのトカゲな日々 11
実際のところ、賭博はスパイスなんだ。大会をただ眺めるだけでも楽しいが、お金を賭けていればこそ、特定のチームに熱を入れることができる。剣の一振をも凝視し、彼らの一挙手一投足に感情が揺さぶられるんだ。
ああ、チームアルテスはなかなか良いじゃないか。良いぞ! そこだ!! ……あぁ……! いや、いけるだろ! 今だ!! そう!!

コロシアム・本戦第二試合

傭兵の契約書 3
――傭兵ダムレイ。
君の強さを見込んで頼もう。闘技大会で全試合を勝ち抜き、優勝するのだ。そして謁見の場でペネロペ姫を殺せ。もし成功したら、金は言い値で払おう。その代わり失敗したら、君の全てを奪ってやろう。君が大切にしているものを、全てだ。以上。
名もなき者ども

シリーズ:傭兵の契約書

とある傭兵の独白 3
王国の姫様を殺せという信じがたい悪事の依頼でも、大金が得られるのならば引き受けるほかはない。流れの傭兵に選択権など存在しないのだ。……俺の両手は悪に塗れている。罪悪感など、どこかに捨ててきてしまったようだ。
……しかし、俺についてくる人間たちを巻き込むのだけは、心苦しい。なぜ、こんな俺についてくるのか……全く理解ができない。数も増えていた。もう、離れてくれ――しかしその一言が、なぜか口にできなかった。

シリーズ:とある傭兵の独白

素人魔法使いの呟き 5
知らない人同士の戦いを見て、何が楽しいの? 意味わかんない。
それに悔しいじゃない。私がまだ使えない魔法を放っててさ。ふん、いつか絶対追い抜いてやるんだから。

シリーズ:素人魔法使いの呟き

闘技大会運営魔物・猛獣係の疑念 3
なんだよ、あいつ……めちゃくちゃ強えじゃねえか……。檻の中に誘い込むところまでは良かったが、お前の愚かな家族もろとも餌にしてやると言った瞬間、あいつの目つきが変わったんだ。檻の中の猛獣たちをボコボコにした挙句、檻の鍵をぶっ壊し、俺の顎に強烈な一発を……。
しかも、目が覚めたら、すぐ横に救急箱が置いてあったんだ。檻の鍵も直してあったし、猛獣たちも手当てがされていた。……クソッ! なんなんだよ、いったい……。
堅物門番のイグアナな日々 4
前言撤回だ。俺は、弟たちを侮辱する奴を許さない。イグアナにも、天敵に立ち向かうことくらいあるはずだ。それに、力でねじ伏せることは賢いやり方ではないが、効果的な場合もあるのだと学ぶことができた。
さあ、彼らは無事に勝ち進んでいるだろうか? 最後に服の血を軽く洗い流したら、仕事に戻ろう。
臆病キャプテンのトカゲな日々 12
おいおい、この試合に勝ったらついに竜追いのチームと当たるんじゃないか……? 今更だけどよく考えたら、父との感動の再会が戦いの場というのはどうなんだろうか? 私は余計なお節介を焼いてしまったのか……?

コロシアム・本戦準決勝

竜追い好き少女の声援
あたしのパパもママも、あたしが竜追いのファンだってこと知ったとき、すごく困った顔してた。そのときあたし、わかっちゃったの。竜追いはオトナからあんまり良く思われていないんだってこと。特に、あたしのパパやママみたいな真面目でちゃんとしてる人にとってはね。
でも、今日は闘技大会に無理やり連れてきてもらって本当に良かった。竜追いの人たちの戦いを間近で見られたのもそうなんだけど、なによりもみんなが熱狂して竜追いの人たちを応援する姿を見られたことが嬉しかった。パパとママの考えも、少しは変わってくれるといいな。じゃないとあたしが竜追いの人と結婚するときに、猛反対されちゃうし。
物知り老人の回顧
あれはいつのことだったか……。最も勇敢で、皆からも慕われていた竜追いの船が、壊滅したことがあった。その唯一の生き残りだけが、今や最後の竜追いを率いることになってしまうなど、あの頃の誰が予想しただろう。
ありもしない宝を追い続ける馬鹿者――そんなふうに彼らのことを悪く言う人間も多い。きっと時代の流れというものなのだろう。それはそれで仕方ないとは思うが、それでも私は竜追いが好きだ。目立った成果がなくたっていい。どんなに無謀な挑戦だって構わないさ。それでも荒波に立ち向かい続ける彼らの姿勢が、私の心を確かに動かしてくれるのだから。
とある第一貴族の後見
リューゼスたちは調子が良さそうだな。彼らの相手は、海の外から来た冒険者たちらしい。どちらが勝つのか、私にはわからない。もちろんリューゼスたちが勝ち進み、姫様との謁見を果たすことを願ってはいる。しかし、たとえ負けてしまっても、私にはリューゼスたちを責めることなどできないだろう。
彼らはどんなに苦しいときでも、力の限りに前進しようと努めている。それは誰にでもできることではない。たくさんのことを諦めてきた私には、到底できないことだ。
勝っても負けても、今宵は彼らにたくさんの食事を奢ってやろう。それが、老いぼれた私にできる、唯一の支援なのだ。
臆病キャプテンのトカゲな日々 13
何か様子がおかしかった。彼らのうちの一人が父親に会えたはずだ。しかし、熱い抱擁とか止まらぬ感涙とか、劇中で親子が再会したときに繰り広げられるような感動の展開は一切なかったようだった。
いや、しかし……私は薄々気が付いていたのかもしれない。リューゼスはやはりワーウルフだった。もしかしたら、私の記憶違いかもしれない。あるいは何か深い事情があるのかもしれない。そんなことを考えて、彼らにそれを告げることができなかった。
……いや、違うな。……伝える勇気がなかった、それだけなんだ……。私は本当にどうしようもなく臆病で、卑怯な男だ……。

コロシアム・本戦決勝

召喚者の詠唱
右手に隠者の汚れなき魂を。左手に悪魔が望みし欲望の塊を。
遠く沈みゆく陽光に翳しさえすれば、許されざる者たちの因果は繋がれる。
黒き蛇たちよ。今、その瞳を開きたまえ――
王国建築士の役目
世界は破壊と創造を繰り返す、と祖父がよく言っていた。いかに偉大なる建築物といえども、それは同じということか。
今、目の前に佇む円形闘技場に、もうかつての面影はない。壁は崩れ、伝統の堀飾りは潰れ、柱は欠けてしまっている。それでもなお全体が崩壊することなく、闘技場としての形を保っていられるのは、私の祖先の慎重な設計のおかげだろう。
「壊れたのなら、また新しいものを造ればいい」。胸の奥から声がする。今度は、私の番だ。私の全てを賭けて、より偉大でより頑丈な闘技場を造ろう。
闘技大会運営救護係の嘆き 2
もう、なんなの? 出場者の治癒で手一杯だっていうのに、観客まで次々と運ばれてくるんだから。
何が起きたら、こんなことになるわけ? ひどい地響きが何度も聞こえてくるし、きっと広場は、今頃やばいことになってるはず。私も今すぐにでも逃げ出したいんだけど、怪我をしてる人を見ちゃったら、私だけ逃げるなんてことできない。
ああ、もう最悪! 絶対来年はこんな仕事引き受けないから!
臆病キャプテンのトカゲな日々 14
まさか、こんな決勝戦になるとは……。竜追いを打ち負かした彼らが、謎の人物と死闘を繰り広げている。壊れゆく闘技場。逃げ惑う人々。しかし、私は彼らの戦いから、どうしても目が離せない。
たくさんの人々をこの目で見てきた私にはわかる。あの召喚者の悪意は本物だ。この王国の脅威、いや人類全体の脅威となり得るほどの悪意に、身の毛がよだつよ。
……ああ、お願いだ。地獄に落ちゆく私たちを、その手で救ってくれ。死を覚悟した臆病な私たちを、迫り来る黒鯨の脅威から救ってくれた、あの日のように。

シークレットトンネル

盗掘の極意 3
盗掘マスターを目指す君へ! 高い塀に囲まれた城だからって盗掘を諦めてはいけないよ! 守りを硬くした城ほど、隠し通路がつくられているものなんだ!
町外れの教会とか、離れた洞窟とかに繋がっている可能性が高いから、その出口を頑張って見つけよう! 見つけられたらあとはいつもと同じ! とにかく盗掘しよう!

シリーズ:盗掘の極意

ザルツァイト王家の口伝 1
これは、世界のすべてがこれから失うもの、いや未来の人々にとってはすでに失っているだろうものを、いつの日か取り戻すための歌なんだ。そう、失ってしまった者たちに捧げる歌、『喪失者の歌』だ。私はこの歌を口ずさみながら、いつまでも待ち続けているよ。
ザルツァイト王家の口伝 2
『喪失者の歌』を受け継ぎ、守り抜いてほしい。いつか誰かが、その歌を欲するその時まで。
歌が世界を救うだなんて奢りはないけれど、それでも世界を少しだけ変える力はあるはずだ。この歌が必要になるときは必ず来る。だから、よろしく頼むよ。
――吟遊詩人ヒュルド
ザルツァイト国王の早計
私の娘に近づき、あわよくば王国の後継となろうとは、まったくズル賢く無礼な奴らばかりだ! その汚らわしい指を一本でも娘に触れさせてなるものか。我らがハーフヴァンパイアの崇高なる血に混ざりこもうなど、到底許されんぞ。
そもそも、清らかで豊かな人生を送るためには、城外に出る必要など一切ないのだ。娘の欲しいものは全て、私が与えよう。この塀の中こそが、世界で唯一の楽園なのだ。
老いぼれ執事の奮闘
姫様、私は感涙にむせんでおります。ついに姫様が、城の外に足を踏み出しました。
しかし、こうして悠長にしている暇などございません。早速、偽装工作の方を始めなければなりません。まずはベッドに布を押し込んで膨らみをつくり、姫様は体調を崩されて寝込んでいるということにいたしましょう。お食事は私がお運びし、誰一人としてお部屋には入れません。そして時間を稼いだ後、頃合いを見計らって姫様がお逃げになられたことを伝えるのです。いつまでも皆を騙しておくことはできませんからね。
おっと、誰かが部屋の扉をノックしておりますね。私に姫様のような美しいお声を出す技術でもあれば良かったのですが。はて、どういたしましょう。
鳥籠の中の決意 1
城の周りが高い塀で囲われたのは、いつのことだったでしょうか。私がまだ幼い頃、物心がつくかつかないかの頃には、すでに建てられていた気がします。
ある日、ダンが用意した絵本に「鳥籠の外の世界を知らない鳥は、籠の外に出ようとしない」と書いてあるのを見ました。そのときに、ふと気が付いたのです。私が今いる場所はもしかすると狭い鳥籠の中で、籠の外には広大な世界があるのではないでしょうか、と。
鳥籠の中の決意 2
それが事実であることは、すぐにわかりました。私が今いるこの環境は、"普通"とは程遠いことがわかってしまったのです。
私は外の世界に憧れました。ときおり塀の向こうから聞こえてくる闘技場の歓声に心を踊らせ、塀の上に止まった鳥に外の世界のことを聞こうと話しかけ、誰かが私を連れ出してくれる日が来るのではと待ちわびました。そんなとき、ダンが秘密の通路のことを教えてくれたのです。目の前に続いていた暗い通路は、私の足につけられた鎖を千切るための、私にとってまさに唯一無二の活路でした。
鳥籠の中の決意 3
けれど、すぐに逃げ出すわけにはいきません。上手くやらなければ捕まってしまい、きっと二度目の機会は訪れないでしょう。ですから、港にたくさんの船が停泊する建国祭の日、謁見に訪れる異国の優勝者が現れたときに、その方々の力を借りようと思ったのです。
今になって思えば、あまり賢い選択とは言えないかもしれませんね。けれど、それが私の精一杯でした。鳥籠の中で懸命に考えた最善の方法だったのです。
鳥籠の中の決意 4
お父様とお母様には、申し訳ない気持ちでいっぱいです。塀の中の生活が、私のことを思ってくれた結果であることは、痛いくらいにわかっていましたから。
けれど、私は外に出たかったのです。絵本の鳥は最後に、勇気を出して鳥籠から飛び立っていきました。風に乗って海を越えて、知らない街に寄って、遠くの鳥と出会い、恋に落ちます。きっとそれが本当の自由。本当の人生。世界の果てにある、全ての可能性。私は、その可能性に触れてみたいのです。
臆病キャプテンのトカゲな日々 15
すごいぞ、彼らは勝ったんだ! 優勝した! そして召喚者から王国を救ったんだ!
嬉しすぎて、周りの人々に自慢してやったよ。彼らを運んだのは私の船なんだってね! ああ、最高の気分だ! 彼らにお祝いを言いたいけれど、姫様の謁見があるから仕方がない。今日のところは家に帰ろう。
……いや、ちょっと待て。そういえば私は、彼らの優勝に賭けていたんだ……。前評判なんてないチームだ、配当はいったいいくらになるんだ……? まずい、手が震えてきた……。

魔海域北東部

竜追いテレムの日常
あのクソヤロウ。人使いが荒すぎるんだよ。
闘技大会に参加させられて恥かかされた挙句、二度と王国には戻れねえかもしれねえからって、なんで俺がアイツの酒まで買いに行かなきゃいけねえんだよ。俺はアイツの補佐役であって、子守役じゃねえ。今度、命令口調で酒をせびったら、木瓶を海に投げ捨ててやる。
クソッ……値上がりしてるじゃねえか。無駄なもんばっか買わせやがって。後で絶対、トルリの旦那にチクってやる。
ドラゴンハンターの日記 2
航海36日目。ついに奴が起こしたであろう雷雲を捉えた。巨大な黒い雲の下で、雷が何度も何度も落ちている。まるで世界の終わりのような光景に、さすがの私でも言葉を失ってしまった。
あれほどの雷を避け続け、さらに奴の息の根を止めることなど果たしてできるのだろうか。いや、それでもやるしかない。それが、私の使命であるからだ。

シリーズ:ドラゴンハンターの日記

気候学者の推察 3
雷という現象は、非常に興味深い。本来ならば水を落とすだけの雲が、時折、強烈な雷の魔力を一気に放出するのだ。私にはまだその原理を解明することができていない。
この海域では、他の海域に比べて雷が落ちる確率が格段に高いという。それはとある竜の仕業だと信じられているようだが、果たして本当にそうだろうか? 他の可能性を考えてみる必要があるだろう。……いや、特に何か良いアイデアを思いついている訳ではないのだが。
とにかく、この目で見てみないことには始まらない。しかし問題は、そんな危険な海域にまで連れて行ってくれるような船乗りがいるのかということだ。

シリーズ:気候学者の推察

魔物生態研究報告書 7
竜追いが黄金の竜を探しに行くと言うから、船に乗せてもらうことにしたわ。雷を司る竜、これまでに遭遇した人のほとんどが帰らぬ人になったという噂ね。
……私、震えてる。これはワクワクしてるから? それとも怖いから? どちらにせよこの航海が、私にとって大きな転換期になるような、そんな気がしてるわ。
荒れた海を支配する竜はきっと神々しいのでしょう。何を食べてどんな風に生きているのか、想像もつかない。ああ、この目に焼き付けて、絶対生きて帰って来てやるわ。

シリーズ:魔物生態研究報告書

船大工のこだわり
雷除けには二つの手段がある。一つは、雷をある場所にだけあえて落ちるようにして、他の場所の安全を確保する方法。もう一つは、雷を完全に避けきる方法だ。当然、後者の方が難しいが、リューゼスの要望だったら仕方がない。一流の船大工の技ってモンを見せてやるよ。
雷の落ちにくい構造にするのは当たり前だが、それだけじゃ駄目だ。船材の一つ一つに、これ以上ないってくらいに雷除けの魔法をかけるんだ。こう見えて俺は、魔法も得意なのさ。まあ、だからこそ一流なんだがな。
臆病キャプテンのトカゲな日々 16
なんと、数回分の交易では到底及ばないほどの大金を手にしてしまったよ。これはもう、船をさらに大きくするしかないな。さらに複数の船を買っても良いかもしれない。
「トカゲ商船」はこれから「大トカゲ商船団」になるんだ! そうしたら、私は「大キャプテン」ってトコか? はっはっはっ! 最高だ!
この金で彼らにもお祝いをしようと思ったけど、どこにも見当たらない。巷では、姫様と竜追いたちと一緒にどこかの海へと出てしまったなんて噂も流れている。もしそれが本当なら、行き先はたぶん魔海域だ。彼らは世界を救うとかなんとか言っていた。よくわからないけど、応援しているよ。私は、君たちの友人だからね。

抜け落ちた海

探検のススメ 7
命を落とすかもしれない。そんな危険な場所に行かなければならないときも、いつか訪れるだろう。私はそれを止めはしない。
たくさんの経験をし、万全の準備をし、危険を承知で探検をするのであれば、それは無謀ではない。君たちの健闘を祈っている。

シリーズ:探検のススメ

『喪失者の歌』
憎き吟遊詩人よ、耳を閉じなさい。凪いだ海に荒波をもたらす、この歌が聴こえぬように。さあ、大いなる敵から逃れるために、扉を閉じて、閂をかけなさい。躊躇いは無に帰し、冷たき海に虚飾が流れ出す。歌は、暗闇。憎しみに溢れる嘘は、光の中でさえ暗く、一つの裏切り。
『喪失者の歌』(逆転版)
真実に溢れる愛は、闇の中でさえ光輝く、一つの約束。歌は、松明。決意が鍵となり、母なる海は真実を受け入れる。さあ、小さき我々のために、閂を外し、扉を開きなさい。さあ、荒れた海を鎮めるこの歌を。愛の吟遊詩人よ、聴きなさい。
生還者の言葉
海の中に、穴があったんだ……。海水がそこに流れ込み、円形の滝を作っていた。どれくらいの深さがあるのかわからない。小さなボートで近づいた船員がいたが、潮流に飲まれて、悲鳴をあげながら穴に落ちていった。そして、その穴の中から聞こえたんだ。まるで空気を裂くような、恐ろしい咆哮が……。
それから雷雲がどんどん湧いてきて……。俺たちは必死で船を漕いだよ。どれくらいの日数が経ったのかもわからない。一心不乱に漕ぎ続けていたら、いつの間にか安全な海域に出ていた。もう、俺はあんな場所には行きたくない。おそらく行ったことのある奴にしか伝わらないと思うが、あそこは、なんかヤバイんだ……。
豪運と呼ばれた男の顛末 1
悪人は地獄に落ちると誰かが言っていた。本当にそうならば、この地獄に生まれる前の俺は、きっととんでもない悪人だったのだろう。誰かのパンと金を盗みながら、いつもそう思っていた。港で大声を上げて笑う男の懐にそっと手を伸ばした、あの日まで。
豪運と呼ばれた男の顛末 2
男は俺の腕を強く掴み、そしてこう言った。「盗みは悪いことだ。だが、なかなか筋が良いな」と。
誰かに褒められたのは、それが初めてだった。どう反応したら良いかわからずに逃げもしねえで呆然とする俺の顔を覗き込むと、男はすぐに言った。「今日から俺の船に乗れ。悪いことをしなくても生きていける方法を、一から教えてやる。ついでに、楽しいときの笑い方も、褒められたときの上手なお礼の言い方もだな」と。そう言ってまた笑い声を上げた男の灰色の瞳を見つめて、俺は頷いていた。
豪運と呼ばれた男の顛末 3
それから俺は兄貴――他の若い船乗りに合わせてそう呼ぶようになっていたんだ――兄貴の補佐役に励んだ。命の保証はねえし、大変なことだらけだったが、それでも生きているという実感があった。最高に楽しかったよ。この世界は地獄じゃねえかもしれない。そんなふうに、思えるようになったんだ。
あの頃の俺にとって、竜の至宝なんてどうでも良かった。このままずっと兄貴たちと一緒に船に乗ってさえいられれば、本当にそれだけで良かったんだ。
豪運と呼ばれた男の顛末 4
あの日、俺たちの船は雷竜に遭遇した。俺は、そのとき初めて見たんだ。黄金に輝く翼を。美しいと思ったよ、心の底からな。
……そして、全てが奪われた。どうして俺だけが残されたのか、ずっと考えたさ。俺より強い人間も、俺より正しい人間も、俺より勇敢な人間もいた。地獄に生まれた俺だけが、どうして残されたんだってな。
それを、人々は「豪運」と呼んだ。無力な俺に浴びせられる、ひどい皮肉だと思った。だから、逆に「豪運」を自分から名乗ることにしたのさ。……あの日の後悔を、屈辱を、怒りを、全部忘れねえように。
豪運と呼ばれた男の顛末 5
新たな船員を集めるのには苦労したさ。あんなことがあった後に、そいつの船に乗ろうだなんて、正気じゃねえ。だが、リューゼスの名前は広く知られていたから、兄貴の名前を使えば、勧誘もできねえことはなかった。兄貴の夢を胸に刻むために継いだ名前が、意外なところで功を奏したってワケだ。
それに、トルリの爺さんには、本当に感謝してる。兄貴のことを覚えてくれている人が俺以外にもいるっていう事実が、それだけで支えだった。
……それで、本当にいろいろあって、今の俺がある。俺は多くのものを失ったが、この喪失の先にある未来を、俺は見てみてえと思ってるのさ。
誰かの声
雷を司りし竜よ。世界の行く末に目を向けながらも、何も行動を起こさず、誰の苦労をも知ろうとせず、隠された真実に気がつかず、それでいて尊大な傍観者であり続けるお前に、相応しき使命を与えよう。
願わくば、その苦悩の果てに一つの答えを。それが、世界を照らす光とならんことを。
臆病キャプテンのトカゲな日々 17
どうやら姫様の噂は本当だったらしい。船には、竜追いの後見人、第一貴族のトルリ公爵も乗っているようだ。街は大騒ぎだよ。闘技大会の優勝者、王国の姫様、最後の竜追い、王国の第一貴族が同じ船に乗ってどこかへ行ってしまったんだから。
彼らをこの王国まで運んだのは私だ。おかげで、海上騎士団に一日中尋問を受け、投獄されることになってしまったよ……。ここには冷たい地面と壁、それに天井と金属の格子以外は何もない。ああ、暇だ。彼らは今、どんな冒険を繰り広げているのだろう? それをひたすら想像することくらいしか、私にはやることがないよ。

海底神殿

古代文字の手記 1
海はどこまでも平坦だという考えは幻想だ。地面に穴が空くように、海にも穴が空く。その穴の下には、誰かが造った巨大な神殿があるかもしれない。そして、その神殿でずっと何かを待ち続ける人間がいる可能性だってある。
この世界は、すべてが起こり得る、謂わば"可能性の世界"。凝り固まった常識を捨てろ。可能性を殺す人間は、いつか可能性に殺されてしまうだろう。
古代文字の手記 2
確定した事実を変えることはできない。認識はひどく曖昧だとしても、対象の存在は認識した時点で確定してしまうのだ。
しかし逆に、どんなに悲しい事実でも、知りさえしなければ、それは存在しないに等しい。何を確定させるべきか。そして何を知らないままでいるべきか。立ち止まってそれを考えることも、苦しみに満ちたこの世界では、きっと必要だ。
古代文字の手記 3
誰かが剣を振るとき、剣はその誰かに振られている。誰かが救いの手を差し伸べるには、苦しんでいる別の人間が必要だ。誰かが生き抜くためには、沢山の動物や植物の命を食らわなければならない。何かを優先したとき、別の何かが後回しにされている。
この世界に平等なんてものはない。全員が幸せになる方法など、あり得るはずがないのだ。ならば自らの幸福だけを考えて生きて何が悪い? その結果、誰かの願いを犠牲にしたとしても、「仕方ない」と思うしかないだろう。
古代文字の手記 4
人は忘れることができる生き物だ。罪悪感はいつか消える。1000年前に生きていた誰かの苦しみを、覚えている人間などいないだろう。犯した罪も、罪を犯したことによる苦しみも、いつかは細かな塵となり、風に飛ばされて消えてしまうはずだ。
……しかし、この世界の誰か一人だけでも、あらゆる可能性を信じ、悲しい事実にも絶望せず、全ての人間の幸福を願い、罪を犯すことを躊躇うような、そんな人間であってほしい。私には到底できることではないが、誰かがそうあってくれれば、きっと世界は今よりも良くなるはずだ。
祭壇に書かれた古代文字
海の神よ、愚かな我々に与えたまえ。生き抜くために必要な一握りの愛と、灯火の如き小さな勇気を――
臆病キャプテンのトカゲな日々 18
一匹のイグアナが鉄格子の向こうから歩いて来た。いや、冗談だ。兄が面会しに来てくれたんだ。
嬉しかった。なんでもない会話をしただけなのに、涙が溢れてきた。兄は、私を解放するように方々を回って、手を尽くしてくれているらしい。どんな手を使っているのかは教えてくれなかったけど、兄のことだからたぶん悪い方法ではないんだろう。
とても安心したよ。あとは信じて待っているだけでいい。兄は、私たちのピンチにいつも駆けつけてくれたんだ。今回だってきっと、なんとかしてくれる。

吟遊詩人ヒュルドの識界

吟遊詩人ヒュルドの思い出 1
僕は最初、冒険なんかに乗り気じゃなかった。旅は一人の方が気が楽だし、危険な場所に自分から行くなんて、愚か者のすることだと思っていたんだ。
だけどあの日、アルテスに会ったとき、僕の中にずっと潜んでいた孤独が埋められた。自分でも知らなかった。僕が「寂しい」なんていう気持ちを持っていたことをね。
僕は、自分自身のことを良く知らなかったんだ。だから、彼についていけば自分がどんな人間なのかわかると思ったのさ。
吟遊詩人ヒュルドの思い出 2
アルテスが掲げる理想は、鼻で笑いたくなったり、身体がむず痒くなったりするようなものばかりだった。彼はつむじから爪先まで理想でできた人間で、一方、僕は産声を上げた瞬間から現実主義者だったんだ。
何度も衝突したよ。だけど、互いを嫌いになることはなかった。少なくとも僕は、彼を尊敬していたからね。なぜそこまで恥ずかしげもなく理想を語れるんだって不思議だった。時折、彼の言動は本当に眩しくて、そんなとき僕は自分の冷たさが汚らわしく思えてきて、どうしようもなく嫌になったんだ。
吟遊詩人ヒュルドの思い出 3
冒険を通じて、僕はたくさんの感情を知ったよ。冒険に出る前だったら口にするのも恥ずかしかった「愛」も、その一つだ。僕は自分のことを最後まで好きになることはできなかったけど、誰かを好きになることはできるようになったし、歌で理想を語ることもできるようになった。皆で口ずさんだあの歌は、今でも大好きなんだ。
……あのとき、僕たちは選択を迫られた。これ以上ないってくらい悩んだよ。そして、選んだ。その結果がこの世界ってわけだ。
僕は、誰かに謝ろうとは思わない。今思い返しても、これが最善の選択だったからね。だけど願わくば、もう終わりにしてほしい。永遠という時間は、たった数十年で死を迎えるはずの人間には、やはり長すぎるんだ。
アルテス・デンドルライトへ 2
君のことは、最後まで嫌いになれなかったよ。思い返せば僕は、君に認められたかったのかもしれない。だから、君の意見が正しいと思っていたにもかかわらず、わざと刃向かったこともあった。謝るよ。
……あまり言いたくはないけど、君には本当に感謝しているんだ。なにって、その、なんだろう。まあ……とにかく全部だよ。
僕が今でも諦めないでいられるのは、君が絶対に諦めていないだろうことがわかるからだ。最後まで、君は絶対に諦めない。永遠だろうと根比べで負けるはずがないんだ。だから、僕も諦めないよ。君だけに重荷を背負わせるなんて、絶対に嫌だからね。……じゃあ、また。全てが終わったら、歌でも歌おうか。
臆病キャプテンのトカゲな日々 19
やっと釈放された。久々の太陽は眩しくて、海は綺麗だし、潮風は心地いい。
兄は少しだけやつれているように見える。きっとたくさん心配してくれたのだろう。ありがとうと言うと、兄は黙って小さく頷いた。その仕草がイグアナみたいで、私は少しだけ笑ってしまった。
姫様たちは、まだ戻っていないらしい。近くの海域に出た捜索隊も全く成果を得られず、おそらく魔海域に向かったのだろうと結論づけられたようだ。私の予想だと、竜の至宝を手に入れるために姫様が必要だった、ってトコだ。だとしたら、用が済んだら姫様を返しに戻って来るはずだ。彼らは、悪人ではないからね。

ディープシーケイブ

深海の記憶 1
世界に最初の命が生まれた頃、そこには数多の水があった。水は命の鼓動を包み込み、それをゆっくりと大切に育て上げた。
深海の記憶 2
最初の命は新たな命を生み、その命がまた新たな命を生んだ。延々と膨れ上がる生の連鎖を、水は静かに見守り続けた。
深海の記憶 3
しかし、命には終わりがあった。最初の命が消えてしまったとき、水は初めて「死」を知った。
深海の記憶 4
新たに生まれた命も、いつかは失われてしまう。命が紡ぐ生の連鎖は、死の連鎖でもあったのだ。
深海の記憶 5
水は命を大切に思うと同時に、命を哀れんだ。そして水は望んだ。全ての命が、死のない世界に導かれることを。
深海の記憶 6
死のない世界とは、生のない世界。死の連鎖を止めるには、生の連鎖を止めなければならない。
深海の記憶 7
水は決意した。全ての命を、水に還そうと。はじめから何も生まれなければ、何も失うことはないのだから。
深海の記憶 8
そして、世界は水で満たされる。全ての命は流され、飲み込まれ、水に還っていくはずだった。
深海の記憶 9
しかし、命は失われなかった。いつの間にか、世界は歪な檻に囚われていたのだ。
深海の記憶 10
全ての死が、なかったことになる世界。しかし、命が永遠に死に続ける世界。次に何をすべきなのか、水にはもうわからなかった。

忘らるる金塊船

トレジャーハンターの日記 1
海底に沈む船を偶然見つけたときには驚いたが、さらにその船が金塊を運んでいた海賊船だとわかったときにはもっと驚いた。これで俺たちも億万長者だ……ただただ辛いだけの海底探査をやっと辞めることができる。
しかし、良い船だ。船室もたくさんあるし、装飾も凝っている。長い間、海中に沈んでいたとは思えないほど美しく、こうやって船室の椅子に座って日記を書きたくなるくらいだ。
……ん? 水中のはずなのに、俺はいったい何を……
トレジャーハンターの日記 2
おかしい……俺は夢でも見ているのだろうか。船室は水に沈んでいないし、俺には水中呼吸の魔法もかかっていない。しかも、俺は空気を吸って吐いている。いや、それどころか、船が揺れている……。海上を航行しているのか……?
俺は、船室の扉に一度手をかけたが、開けるのはやめた。この部屋から出たらもう二度と"現実"に戻れない。そう直感したのだ。今にも俺は正気を失ってしまいそうだ。だからこうして日記を書き殴っている。
……ああ、廊下を駆ける足音がする。誰かがこの船室にやってくる……。やめてくれ、俺は海賊なんかには……
トレジャーハンターの日記 3
船室の扉を勢いよく開けたのは、船長だった。この沈没船の船長じゃない。俺が乗っていた探査船の船長だ。潔癖だったはずの船長の顎には髭がびっしりと生えていて、黒い三角帽子が頭に乗っていた。
日記を書き続ける俺に向かって、船長が「早く起きろ」と怒鳴りつけてくる。どうやら、略奪の準備をしろということらしい。船長の後ろにはカットラスを腰に差した仲間たちが呆れた様子で立っているのが見えた。ああ、俺は寝坊してしまったのか……。
いや、俺は海賊じゃない……。じゃあ、俺は何なんだ? 船乗り……だったか? ああ、もうわからない……。なぜ俺は……何を……書いて……
私掠免許状
汝、荒海を統べる者。我が国の秩序を乱す船々の拿捕を許可する。与えられしその力を、正義の名のもとに遺憾無く発揮せよ。
船長の心得 1
人間は、裏切る生き物だ。どれだけ神に誓おうとも、止め処なく溢れる欲望を捨てきることなどできるはずもなく、ひとたび金塊を目にしてしまえば、忘れることなどできはしない。口では正義を語る人間も、密かに自らを裏切り、欲望に従って生きている。
ならば、人間を支配するのは簡単だ。そいつらの欲望を満たしてやればいい。都合の良いことに、自ら悪事を働きたくはないが悪事を働く者が得る利益を分けてもらいたいと考える無責任で強欲な人間が、この世界には溢れているのだから。
船長の心得 2
悪に染まることを厭わない人間を見て、恐怖する人間は多い。しかしそういう奴らに限って、その眼差しに羨望が含まれていることに気が付いていない。恐怖とは、未知のものに対する羨望と好奇心と危機感が生み出すのだ。
ならば、人間を懐柔するのは簡単だ。恐怖する人間から、危機感だけを取り除いてやればいい。そいつだけには危害を加えないと口約束をする。たったそれだけで、安心感は好意に、そして羨望は興奮へと変わるのだから。
船長の心得 3
一人の人間では到底使いきれないほどの金塊、あらゆる人間を従えるだけの地位、末代まで語り継がれるであろう名誉。それらの全てを手にしたが、俺にはどれも必要ない。真に必要なものは初めから一つ、この船だ。
俺の自由を邪魔する奴らを排除し続けているうちに、いつの間にか世界を手にしていたというだけのこと。たとえ死んでも俺は海を巡り、自由を求め続ける。この船さえあれば、それも可能だろう。そう、潰えぬ夢の中で、永遠に。

コロシアム・季節戦 - 血塗れの招待状

特になし

コロシアム・季節戦 - 不屈なる者たち

特になし

コロシアム・季節戦 - 一なる栄光

特になし

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